
この苗は去年8月頃の白肌太平丸の開花です。
私は太平丸が好きで今十数株栽培しています。この苗はその中で一番気に入っている株です。白肌が綺麗で少しうねった茶色の棘を出して大きなピンクの花を咲かせます。去年はこの株とほかの太平丸を交配して種を取り実生をしてみました。しかし発芽率が悪くほんの数本しか発芽しませんでした。今年はいろいろ方法を考えて再チャレンジしてみようと思っています。

この写真は私が40年前に撮影した物です。
先日古い写真を整理していると私の若かりし時代のサボテンの写真が出てきました。
これは私が20歳くらいの時に撮影したレブチアの斑入り種(名前は忘れました。)の写真です。
黄色の斑入りで龍神木の接ぎ木でした。赤い花が多く咲いて綺麗でしたが今はもうありません。
懐かしい思いにふけっているうち私のサボテン栽培の原点である40年前のお話をした方がよいかと思いまして経歴を記させていただくことにいたしました。
私のサボテン歴私は1952年兵庫県生まれで今年59歳になります。
私が初めてサボテンに興味を持ち栽培を始めたのは中学2年生の頃だったと記憶しています。
何でサボテンのことを知ったのかよく覚えていませんが通信販売で苗を購入して手製の温床に入れて栽培を始めていました。
高校生になった頃には少しサボテンの量も増えてきておりました。近くに同じ趣味の人がいなかったために高校で園芸部に入ってサボテン好きの人がいないか期待したのですが、すべて女性部員ばかりでサボテンに興味のある人もなく1ヶ月くらいでやめてしまったことを覚えています。その後、結果的に好きだった美術部に入りデザインなどをやりながら結局そちらの方が将来の本業に繋がっていきました。
今回掲載します写真は私が高校生から大学生になった頃に撮影したカラースライドフィルムからスキャナーをかけてデジタル画像にコピーした物です。
カラースライドは比較的経年変化に強いようですがさすがに40年の時の変化に耐えきれず変色しているものも多くありました。一部は画像を修正していることをご了承ください。

40年前のマミラリア影清です。
結構綺麗で気に入っていましたが30年くらい前に枯れてしまいました。
先日載せた銀河はこの影清を懐かしんで再購入した物です。

種類は忘れましたがネオポルテリアの花です。綺麗な花ですが今はもうありません。

40年前の希望丸の花です。ずっと前に枯れてしまい現在の苗は数年前に購入した物です。

マミラリア玉翁です。この株は撮影時約10cmくらいでしょうか。今はなんとか枯れずに残っていますが放置栽培がたたってかなり見苦しくなって現在再生中です。機会があればまたご紹介したいと思います。

マミラリア金洋丸です。これも何とか40年生き残り現在再生中です。植え替えをさぼっていたため40年を経過しても大きさはあまり大きくはなっていません。

40年前の金鯱です。これは生き残っています。この株と斑入りの同時期に購入した金鯱錦は何とか生き残って今は30cm近い大きさになっています。今は2株開花するようになっており、なんと長い間元気で育ってくれたことかと嬉しくなります。これは金鯱がそれだけ丈夫な品種であるということの証でしょう。ほかの品種も同じ栽培方法でほとんどの物が枯れていく中、金鯱などの一部の丈夫な品種だけ生き残ってくれたことはサボテンの生命力の強さとして驚きを覚えます。40年という年月は家内とのつきあいよりも長く、もちろん、もうすぐ30歳になる子供たちよりも年上ということです。その生命力に驚きを覚えます。私の生きている間は何とか枯らさないようにつきあってやりたいと思います。現在の姿はまた後ほどのお楽しみとしておきます。

マミラリア月影丸です。写真の変色が激しいですが綺麗に花を咲かせています。これも今はありません。

ギムノカリウム光琳玉です。これは袖ヶ浦の接ぎ木ですが何とか生き残っています。下の方に老化の茶幕が多く出て見た目は見苦しくなりましたが最近植え直して新棘も出始めました。もう少し再生すればお披露目できるかと思います。

マミラリアの高砂だったと思います。綺麗な群生株になっていましたが枯れてしまいました。

ギムノカリウム新天地です。成長が早く1972年時点で12cmくらいあったでしょうか。現在25cmくらいになっていますがちょっと元気がなく枯れてしまうか微妙なところです。

毛柱類吹雪柱です。15年ほど生きていましたが今はもういません。

ノトカクタス雪晃です。綺麗な花をよく咲かせていましたが植え替えできず水不足で枯れてしまいました。

マミラリア鶴の子丸です。これはまだ生きています。20cmくらいの群生株になり生き残っていますが一部腐りが生じ現在修復中です。今年数年ぶりに花が咲きました。

40年前の松茸の写真が同じところから出てきました。40年前は我が家の裏山にたくさん松茸が生えていました。今は松が枯れて松茸は全く絶えてしまいましたが昔が懐かしいです。

40年前のマミラリア満月です。これも枯れてしまい、最近再購入した物を栽培中です。こうしてみると40年前のサボテンはかなりよい状態で育っていたことを確認できます。最近私が購入した苗よりも立派なものが多くあります。
さて、私が高校生になった以後のことを書いておりませんでしたので続きを進めます。
高校を卒業して大学に進学とともに実家を離れ大阪に下宿いたしました。大学の4年間は1-2週間に一度実家にかえってサボテンの世話をする時期が続き水やりや植え替えができず次第に弱いサボテンから枯れていったように記憶しています。
その後大学を卒業した後大阪の会社に勤め、1週間に一度実家に帰るという生活が約6年続きました。サボテンたちは水やりも少なめで植え替えはほとんどできず本当に強い物だけしか生き残れなかったのでしょうか。この時期に多くのサボテンは生命を終わらせたようです。その後30歳くらいになって実家に帰りサボテンを見られる状態になりましたがサボテンは長い間の手抜きでその魅力を失い何とか腐らせないような世話しかできませんでした。
それから約20年、家業や、子育て、別の趣味の魚釣りなどにはまりサボテンは何とか生き延びるだけの状態が続きました。そのうち55歳を過ぎて体調のよくない時期などがあり、体力の衰えを覚えるようになって好きだった魚釣りがつらくなっていきました。
そんなときネットでサボテンについて検索してみると多くの方が綺麗で魅惑的なサボテンを栽培されていることを知り、もう一度かわいいサボテンたちを本格的に育ててやろうと思うようになりました。昨年の春には何十年ぶりかで温室のほとんどのサボテンを植え替え、やっとサボテンたちと正面から向き合える状態になりました。この40年間で枯れてしまったサボテンたちは数え切れないほどありますがそんな中でも40年近く生き延びてくれた一部のサボテンたちには自分の家族に負けないくらい愛着があります。残された私の人生の中でできるだけ綺麗にその姿を残してやっていきたいと思っています。
長らく私の経歴を記しましたが、お読みいただいたお方にはお礼申し上げます。ご感想などいただければ嬉しく思います。最後に一枚写真を載せて本日のブログページを終了いたします。

40年前のアガベ雷神です。確か当時尼崎にあった山城愛仙園で購入した覚えがあります。これは現在も元気です。子が出てよく増えて今は20鉢くらいになっています。いずれはプレゼントさせていただこうかと考えています。
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- 2012/01/15(日) 22:28:05|
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